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奈良県 吉野神宮

社号が神宮である。
吉野神宮は、明治天皇が、1899年(明治32年)に吉野神宮の建立を命じた。
新政府は国家神道を推進し、神社を通じて国民統合を図る政策を展開した。明治政府は神道を利用して皇室と国家の結びつきを強化し、国民の忠誠心を高めるための象徴として神社を位置づけた。吉野は古くから霊場としての重要性を持ち、特に南北朝時代には後醍醐天皇が南朝の皇居としていた場所だ。この歴史的背景を持つ吉野を明治政府は重視し、皇室との繋がりを象徴的に見せる場所と考えた。
なぜか。
吉野神宮は日本史上重要な人物である南朝の三代天皇(後醍醐天皇、後村上天皇、長慶天皇)を祀るためであり、また、明治政府が行った明治維新の正統性と、皇室の権威を示すための政治的な意図もあったのだろう。明治政府は吉野神宮を通じて、新しい日本の国民統合の象徴とし、皇室の神聖性と国家の正当性を内外にアピールしなければならない強い訳が其処に存在するように見える。
何故これほどまでに新政府は吉野に囚われるるのか、南朝に囚われるのか。
広大な敷地に建立した吉野神宮は今はひっそりと佇んでいる。

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